謹賀新年
昨年の年末にようやく決まったある国産の上場企業のトップマネジメントの案件がある。こういう案件は日本ではまだまだ希少である。いつもながら学ぶ点が多かったプロジェクトだった。始まったばかりの時点で震災による中断、最終候補者(ファイナリスト)の面談を終えた時点での求人仕様の変更、企業のリストラを同時並行に進める中でのタイミング調整による意志決定の遅延もあった。しかしながら、なんとか決定に漕ぎつけることが出来た。大変幸運な事だと思うと同時に、大きな他力が働いたという感が強い。五月の株主総会を経ない段階なので、あまり具体的な事は書けない状況ではあるが、概況を振り返ってみたい。
「人生において不幸の原因は様々である」・・・とは良く言われる話であるが、企業も全く同様で、栄枯盛衰やその企業の成長性に陰りが見え始める要素もまた様々に思える。国内市場の飽和化、少子高齢化、企業の取り込む会員数の維持や新規獲得の限界、またそのビジネスモデル自体長年の環境変化に追随出来なくなって来ている事、トップマネジメントが新しい方向性を示し、競合の中でそれを成長させるリーダーシップを発揮出来ないなどなど。まさにそういう際、外部から新しい血(人材)を引きいれる必然性が生まれ、昔からトップ人材の外部採用というのはそういう役割を担って来たと認識している。この案件もその例外では無く、上記の幾つかに当てはまっていた様に思う。
さて、その業界では大物経営者と言われる幾人かの候補者とクライアントとの面談プロセスを通して、私は何か違和感を感じていた。そういう方々をその場に連れ出すのもなかなか骨の折れる作業なのではあるが、大物経営者といえども、この方々が当該企業の抜本的な再建を果たすことが出来るかどうか?という点である。企業経営とは複雑なものである。求人仕様が合っていたとしても、当該企業との相性がいま一つの感があるというその一点でもなかなか成功は覚束ない。そこでクライアントと今後進むべきビジネスの方向性を再度、詳しくインタビューしディスカッションを重ねた。その中で、今後の成長に向けて求められる資質のある点に注目し、全く違った発想で異業種の経営者人材を六本木の会員クラブにてクライアントに引き合せたのである。
面談の席上、候補者は経営者としての成功体験や実績を得々として語るのが通常であるが、その候補者は、とつとつと自身の経営の失敗談を具体的に臨場感を持って語り始めたのである。既に新聞紙上などで発表されている事実関係と「ああ、そこで繋がるのか・・・」と整合性があり、苦労された経営の表裏を淡々と語るその語り口には、ある迫力があり不謹慎ながら大変面白い話であった。クライアントからも現状及び将来の展望を赤裸々に話して頂いた。結果、妙な手ごたえを私共も、クライアント側も、候補者も、三者三様に感ずることが出来たのである。
今回ご縁があった候補者は、私流に言うと、「突き抜けた価値観」をお持ちであった。厳しい環境変化を何回も経験する中で、人はその対処能力を身に付けて行く。トップマネジメントもその原則は変わらない。業種、規模、成長ステージ、カルチャーの異なる様々な組織をマネージすることで、経営者はマネジメントの幅を広げてゆく。異なる環境の持つ個性を尊重しながら、それぞれの環境下で変わらぬマネジメントの真理や本質を発見出来る。「突き抜けた価値観」を持つとは、そういう意味かと思う。日本のトップの場合、多種多様な環境を経験している方の絶対数が少ないのは残念なことである。一方、外資系の日本社長には多種多様なマネジメントの経験者が多い様ではあるが、グローバル外資企業の日本支社長のポジションは、本質的なP&Lやキャッシュ・マネジメントを経験されている方は少数である。その方は、グローバル外資系企業でオペレーションやマーケティングを極めた上で、国産の老舗上場企業のトップを務めた経験の持ち主だった。言わば、外資系の持つ戦略性と国産企業の持つ実行力の双方を体験されて来た。
経営者は相矛盾する二つ以上の側面を持たざるを得ない。大局を見ながら、詳細にもドリルダウン出来る。繊細でありながら大胆である。直観的でありながら、綿密で計算高い。慈悲的でありながら冷酷である。善人でありながら悪人になりきれる。経営者とは刻一刻と変化するIssueに対し、複雑な意思決定を連続して下さなければならない。手順前後による失敗が許されない孤独な立場である。経営者とは、一見「対局にある正反対の資質や相矛盾する価値観を同時に併せ持つ必要がある」典型的な職業の一つではないか?と最近つくづく思う。でなければ、複雑な意思決定が出来ず、失敗と判った時点で迅速に撤退も出来ないのである。
前述でこの案件の決定に「他力」が働いた感が強い・・・と書いたが、それは経営者を取り巻く目まぐるしい環境変化を指している。それは経営者自身の心情にも影響する。逆に言えば、その経営者と言えども「その価値観が変化してゆく」ことを前提として面会せねばならないのだ。だからこそ現職であれ、タイミングによりこちらからの説得の余地が生まれる。なかなかコンフィデンシャルな事は開示して頂けない訳だが、情報を綿密に取り事実関係から仮説を立てて行くと、経営者の現在の環境に関する「当たらずとも遠からず」の推理が出来るものである。一つの反復訓練であろうか?その仮説と、当該案件の魅力部分を天秤にかけるのである。
そして、震災・・・。これは予期し得ない大きな環境変化であった。当初の3か月程度はどの企業もその対応特別プロジェクトが社内に敷かれ、通常ビジネスの復帰に躍起になった。一時期は日本に進出している外資系などは日本市場からの撤退や、日本企業を自社のサプライチェーンから排除しようとする動きがあったのではなかろうか?経営者の心理にも深く影響した筈である。具体的に言うと、今回の候補者も震災前と震災後では、私には大きくイメージが違った人に思えた。伺ってみると、今回の候補者の身の上にも、震災地区の工場稼働の停止に伴うビジネス・インパクトなど、ビジネスの影響は勿論、複雑な心理的変化もあった様である。逆に考えると、様々な意味でこの震災無しには、このプロジェクトは成就し得なかったのではないか?と今更ながら思うのである。下世話な言い方ではあるが、私共にとっては、一体何が功を奏するかは予測がつかないのである。
誤解を恐れずに言うと、「相手の立場を考えて行動できる」という資質を持つ経営人材は少ない。トップは何かとぎりぎりに追い詰められている事が多いため、自分の立場を守る(維持する)為には、売上、利益、キャッシュなどの基本要素を整える必要があり、他人の事まで頭が回らないことが多い。それが12年間様々な経営者と相対して来た正直な感想である。それはあながち悪い局面ばかりでは無い。時には強引に突破しなければならない事はある。そんな激しい環境の中でこそ、「相手の立場でものを考えられる資質」は貴重なのだ。今回決定した候補者は、その貴重な例外であり、それがクライアント側のハートを掴んだのかも知れない。
もう一つ、「素直で正常な台所感覚」をキープされている方であった。経営者これみよがしのところが微塵もないのである。台所感覚とは、いつも平民の感覚をお持ち、という事である。これは経営者の中では、「突き抜けた価値観」を持っていることに繋がってしまうところが面白い。言葉を換えて言えば、「常識にとらわれず、自分の価値観を持つ」という訓練を積み重ねていらしたのだろう。でないと、一般的に見ると「火中の栗を拾う」立て直しの案件である。積極的にアプライはされないだろう。候補者が拘られたのは二つ。一つは、身を粉にすることで、自分が企業再建に何とかお役に立つのではないか、いう予感が出来ること。もう一つは、人々の健康とサービスに貢献できる仕事であること、というシンプルな拘りであった。
採用決定は、まだ最初の序章に過ぎない。今後入社され当人がどれほど活躍されたかが、我々の価値の問われるところではある。しかしながら、トップマネジメントが活躍できるか否かは、ご承知の通り大変複雑な要素が絡んでくる。様々な荒波をくぐられ、氏が本来の力を発揮され活躍されることを心よりお祈り申し上げる。
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