「長い人生の中で、心惹かれるものに出会うことはなかなか無い。だから、出会ったときには、大切に、大切に・・・」
アラスカ写真家の故星野道夫氏の20年前の言葉である。物や情報が溢れ、何でも仮想空間のボタン一つで手に入る様に思える時代である。だからこそ余計に「本当に心惹かれる」ものには滅多に出会えないから、もし出会えたらそれを大切にせよ、という事だろう。心惹かれるものとは、ある環境、土地やそこに根付く文化、ある人の仕事や作品、趣味やそれに関連する人々、友達や家族など、様々なことが考えられる。彼の息子がこの言葉に動かされ、社会に出る前に、父親の死後20年経って初めて父の足跡をアラスカに訪ねた。父が心惹かれ、生涯愛したアラスカの自然、文化、人々に触れ、一体何に心惹かれたのかを確認したかったのである。
私はこの言葉に盲点を突かれると同時に、自分は感性が鈍っているな、と感じた。昔から人は、こうして人生の岐路を選択して来たのである。「心惹かれる」とは、ある意味危険な言葉である。興味がある、納得する、賛同する、などとは一線を画す状況だ。制約条件があり、その道を選択せざるを得ない、というのとも違う。ある犠牲を伴っても、自分の価値観やそれまでの人生を賭けても悔いは無い、と惚れ込むことである。ただ、出会えてもそれが悪徳の道だとすると、これも困ったものだ。少なくとも他人様に迷惑の掛かることで無いことを祈りたい。
確かにその様な「こと」や「もの」には滅多に出会えない。一生出会えない人も多いだろう。それは、大いなる偶然と本人の感性やタイミングの相互作用だからだ。それが目の前を通過しても、何も感じないかも知れない。ただ、ある人々にとっては、昔から連綿と引き継がれてきた、大事な意思決定をする際の黄金律だったのである。
今までの人生で、本当に心惹かれたものを思い起こしてみると、意外に少ないことが分かる。恋愛や家族関連を除くと、仕事、趣味や遊び、芸能、人脈と辿って行っても、あの頃心惹かれて見境なく没頭していたなぁ、というものが見当たらない。何かドラマチックな記憶が無いかどうかを考えるが、正直それも思い付かなかった。
ところがつい最近、偶然にも出会ってしまった様なのである。人生とは不思議である。その後に、この写真家の言葉を見かけたので、ある感慨を持って反芻した。私の場合、心惹かれるものとは、ある日突然現れた。First Impressionで打ちのめされた。長年心惹かれ、遂に手に入れた、という訳では無い。従って、説明が難しいのだが、出会ってしまったとしか言いようがない。ただ、私自身の環境条件やライフステージとも大いに関係している様に思える。
この仕事を長年続けていて、エポックメーキングな案件と出会い、幸運にも完結することが出来た。それが、この仕事を始めてかれこれ20年目に入ろうかとするタイミングだった。社長業とは誰にも褒めてもらえない職業だ。自分を褒めてやる意味と、これからまだまだ働く事への動機付けを込め、何か記念になるものと漠然と考えていた矢先だった。
それは昔から自分の中に潜在的にあった欲求に関連しているのかも知れない。ただ、色々な理由で選択肢から無意識のうちに外されていた。ただ、長い一生の中で、「いいなぁ」と思えるものが数少ない自分にとって、もし心惹かれたのであれば素直に従ってみようと思えたのである。
これから高年齢化し、長く働き続けて行く方々も増えてゆく。生きる為に働くwork to liveと、働くことを通してより良く生きるlive to workとは、かなり違いがあり、出来れば後者を選択したいと思う。働くことが「心惹かれるもの」であれば、その人は望外な幸せ者である。仮にそうでなくとも、残り少ない人生である。本当に「心惹かれるもの」を見つけ、動機付けされ、嬉々として働いてゆきたいものである。
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