先週、当社のシカゴで開かれた44回目のインターナショナル・ミーティングに出席して来た。全世界45カ国から120名以上のコンサルタントが出席している。オフィス毎に案件の輸出入件数が発表されるのだが、今回のミーティングでは、北米が復活し始めている事、中国、インド、ドイツが世界全体をリードしていること、韓国のグローバリゼーションが急速に進み始めていること、やはり日本に関連する案件の輸出入件数は極端に少ない事が確認された。何故ならば、日本のグローバル企業は日本人以外のグローバル人材を採用する機会がまだまだ少ない事に大きく起因している。これはスタントンチェイス内の出来事であるが、実はこれが世界のビジネスの縮図の一端を示しているのは面白い。このままだと、世界から日本は無視されてゆくだろう。
さて、それはそれとして、最近の私のブログは「日本人悲観論」に傾きがちで、どうもいけない。グローバルに活躍するという点で、私を含め日本人の多くが問題を抱えているのは事実かと思う。しかしその欠点を直すよりも、活かす方法がないものか?人の短所や弱点は必ずや長所や強みに繋がっている筈であるいう意味で、日本人ならではの強みや特徴を活かして、今後の世界の中でどうポジショニングしていったら良いか・・・を考えて行くべきかと思う。ただ、通常気付くことが困難な長所を他人(例えば外人)から指摘されてはじめて認識できる様に、もしや日本人は自分の長所や幸福に気付いていない点も多いのではないか?日本人の持つ「認識されにくい長所」にスポットが当てられ再認識出来れば、「束となればかなり強力でパワー」になる可能性は高い。
欧米の培ってきた価値観や文明・文化が、ある一定の役割を果たしたのは厳然たる事実だが、成熟社会に入り調和の取れた社会を目指すにはもう既にOutdatedになっていて、科学万能、大脳万能の価値観から、その次の新しい価値観の醸成に日本人が一役を担う可能性が大きいのではないだろうか?同時に、日本人が普通に行える事や、何気ない文化や行動様式の中に、もっと言えば日本人がある意味コンプレックスを抱いている事柄の中にも、自分では気付かないグローバルに通用する新しい価値が多々あるのかも知れないのだ。むしろ積極的に欧米流から日本流に「ゲームのルール」を変えてしまうという発想に立つことが出来れば尚面白い。
欧米流の文化に象徴されるものとは、実証主義、論理性を追求、排他的な宗教観と上下の縦支配(クラス)の階級文化、戦いを好む、個の文化、ポリティカル、科学万能主義というところだろうか?日本人に深く根差すのは、「感性と謙譲の文化」である。一言でいうなら・・・。島国独特の肥沃な土壌、変化に富んだ季節感覚、基本的に温暖な気候環境の中で育んだ生活感覚や民衆文化、美意識、匠の技、和の心。など、地域的特性に根ざしたものが多い。争いは好まず、農耕主体の文化である。曖昧で余白や「間(ま)」を尊ぶ。以心伝心、あまりくどくど説明しなくとも判るのである。余計なものを剥ぎ取ってゆく文化である。あまり深刻に考えないお気楽性がある。お人好しである。それがしぶとさにも繋がっていて、「まっ、仕方が無い。また前を向いて頑張ってみよう」という訳だ。俺が俺がというのは最も恥ずかしい事で、「粋の文化」である。ある方向性を見出すと、一気呵成に動いてしまう国民性がある。良くも悪くも・・・。もう一つ、大きな変化を受け入れそれを新しい価値にして生まれ変わらせる力があるのではないだろうか?抽象概念をこねくり回すのは苦手、むしろ体を動かし反復訓練をしながら、余人の到達出来ない高みにまで上り詰める、匠の文化を持っている。
イノベーションの過去の事例をひも解いてみると、それぞれの価値は単独ではなかなか突出したのものになりにくいが、それが「上手く組み合わされた時」に爆発が起こる傾向がある。または、ある技術やサービスがある「意味ある方向性」を持った時に新しい価値が創造されるようだ。その新しい価値は、出来て来たものやサービスを見ると、「なんだそんなことか、今まで気付かなかったが確かにそれは価値である。」という様な事例が多い。世の中を変えるのは、技術的で革命的なイノベーションよりも、従来価値を再定義し、人が気付かなかった組み合わせによるイノベーションの方が遥かにインパクトが強いそうである。それは「組み合わせの妙」である。
日本人らしい「組み合わせの妙」とは一体何か?芸術関連分野はある程度想像がつくのだが、問題はビジネス分野においてである。昔、ドイツのある地方にバウハウスという近代のモダニズム運動が起こり、まもなく米国に飛び火し芸術、産業、社会に大きな影響を与えた。機能主義とか合理主義とかという解釈があるが、私の解釈では、「形は機能に従う。」というコンセプトを様々な造形分野に広げたのである。私もこれを具現化したとされる腕時計を一つ持っているのだが、シンプルで視認性に優れかつ美しい。実はこれは動植物などにおいては極めて忠実に再現されているコンセプトであり、これが厳しい自然界でサバイバルする条件であった。しかも、「完璧な美」を同時に成し遂げている。バウハウスの運動は、神の手に人が何とか近づこうとしたのである。ごてごてした表現よりも、余計なものをどんどん省いて「シンプルな美と機能性を追求してゆく文化」は、日本人にとっては親和性が高い。例えば、バウハウスを日本流に再定義してみたらどうだろう?エコや環境への配慮にも自然に繋がるのではないか?
さて、古くて新しい価値と何を組み合わせるのが効果的か?敢えて思いつくまま言わして頂くと、「楽しさ」だろうか?Make Things Fun!である。Tokyo KAWAII(可愛い)など、ニューヨーク、ロンドン、パリなど海外で盛り上がりをみせて現象も、女性にとってシンプルで美しいのは勿論だが、何か「こころ楽しい(FUN!)」のではないかと思う。日本の祭りの文化はそれに近い。要するに、「匠」の追及と「こころ楽しさ」の組み合わせである。芸術分野は勿論、物の造形(製造業全般)、サービスの仕組み、建築や都市としてのアメニティ空間の創造、娯楽・介護分野などなど広く考えられる。
私の想像力ではこんなところで限界である・・・(笑)
「明日の日本を創る」といっても、やはり世界に通用する価値観の遡及がないと、そのパワーは長続きしないだろう。「エコ、環境、心楽しい」だけでは、なかなか難しい。なんらかの「社会的なイノベーション」に対するリーダーシップが必要かと思う。アップルが世界をリードしているのは、技術的な革新よりも、新しい生き方を提案し続けているからだ。繰り返しになるが、社会的なイノベーションとは、きらめく技術的な変革というよりは、もっともっと日常的に分かり易い価値で、皆、いままで気付かなかったが、提示されてみると「なるほど、これはありですね。いいね!」と実感することが大切なポイントだ。
ただコンセプトを広げるという意味でもう一つ大切なポイントは、新しい価値が出来たとしてもそれをどう効果的に世界に発信してゆくか、である。これにはかなり工夫が必要だ。何しろFacebookを使えば、瞬時に8億人にメッセージを送ることが可能な世の中である。伝達費用はほとんどかからない。娘が米国の10数年も会っていない中学時代の友達をFacebookで見つけ即時にコミュニケートしていた。これは凄いことだ。しかしそれだけにすぐに真似されるし、海外攻勢との差別化を図る為には、日本人ならではの「参入障壁」を設けておく必要があるのだろう。それを何に求めるのか・・・
この「いいとこ探し」は、今後も継続的に考えて行かなければならない大切なテーマだと思っている。
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