グローバリゼーションとは、古くて新しい話題である。前回、会話力や国際人としてのマナー、価値観の問題などを記載した。その後、幾つかの国産グローバル企業のマネジメントとの会話を経て、グローバル化の根本的なものは何か?という問いをずっと考えさせられている。ある落ち着きを見たので、続編としてご披露したい。グローバリゼーションの特徴として、「環境変化に対する対応」と「多様性の受け入れ」の二点がよく挙げられる。問題はその本質は何か?である。ブレークダウンしてみたい。
「環境変化に対する対応力」という観点では、環境が変わっても通用する基礎技術を身に付けているかがポイントである。これを我々は、Carrying Skill(持ち運び可能な技術)と言っている。
応用技術は、素分解した基礎技術の組合せである。
応用技術の習得にのみ専念する傾向があるが、基礎技術の反復練習こそが重要であることを忘れがちになる。応用技術はいくつかの独立した基礎技術の素要素に分解される。この構造を素要素に分解するという姿勢なり観察眼が重要なのである。多くの場合、問題をそのまま解こうとする。通り一辺の解答しか期待出来ない事が多い。複合要素が絡み合った問題を、それぞれの独立した素要素に分解して、その構造を理解する。それぞれの基礎技術の最適解を求め、反復練習をし、後に結合させる事により、斬新な解決策にたどり着くケースは多い。
例えば、スポーツの応用技術の習得をイメージすると話が分かりやすい。大リーガーの名選手達の守備の基礎練習は、ボールの飛んでくる事を予測し、迅速に足を運び、体の正面でボールを捕球することである。名選手がこの3点を飽くことなく繰り返し練習しているのである。それが、スーパープレイ(応用技術)を生みだす。英会話なども同様である。基礎技術の確実な習得を疎かにした複合技術が凡庸であり、他に抜きんでることは無い。
さて、素要素に分解された基礎技術の反復練習と深い習得があれば、周りの環境が変化しても、あらゆる場面に対応できる対応力を身につける事が出来る。Carrying Skill(持ち運びできる技術)である。応用技術のテクニカルな習得やマニュアル化だけでは、自ずから限界がある。
ここにグローバル人材の育成に関する重要なヒントが隠されている。何故ならば、環境変化への対応力とは、「違う環境でもやはり対応出来た」という基礎技術の応用性の習得と反省の事例の蓄積(データベース化)に他ならないからである。
もう一点、「多様性の受け入れ」という観点を深堀りしてみよう。
まず、自分と異なるものへの好奇心や驚きが重要である。興味を持って個と向き合うことなしに、多様性の理解は進まない。世の中には多いなる不思議がまだまだ存在するという謙虚な観点である。多様性の受け入れというと、既に自然界は多様性に満ち溢れているので、人間がそれを受け入れるという発想自体がおこがましいのかもしれない。長い地球の歴史を考えてみれば、微妙で稀有なバランスの中で、かろうじて偶然にも、この現世に存在させて頂いているというのが現実である。
また、自分にとっての抵抗勢力なり、異分子なりの存在が、自分をあらしめているバランスなのだ、というトレード・オフの感覚も重要である。特に日本人は、ある単純な二社択一な方向への議論を好み、ある方向性の方に全員で一斉に走る傾向にある。少数な貴重な意見に耳を傾け、じっくりと考えることが苦手な人種と言われている。
出来れば、海外で孤立無援となって苦労する体験があれば望ましい。如何に価値観、習慣が違うか、無視される事とはどういう事なのか、あるいは、他国に統治されるという事はどういう事なのか・・・などの過酷な実体験は貴重である。その上での協調を考えるべきなのではないか。
好むと好まざるに拘わらず、世界の人々と協調してゆかねば生きられない時代にいよいよ突入している。グローバリゼーションの中で、英会話や国際人としてのマナーや価値観もテクニックとして具備するに越したことは無いが、本質的には実は、日本人にとっても外国人にとっても、「基礎技術の深堀り」と、「価値観としてのトレード・オフの容認」が鍵ではないかと密かに考えている。
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