お会いする候補者が、面談していて大変優秀で是非クライアントにご紹介したい人材だったとしよう。ちなみに英語はビジネスでお使いでしょうか?などと、英語力なりグローバル感覚を問う段階に来て、よく「日常会話程度だったら・・・」とか「ここ数年はビジネスに使ってませんので・・・」とおっしゃる候補者が今更ながら日本人に多い事に気付く。私は、いつもここで躓くのである。「ははーん、いつものパターンだな・・・」と。
日本人の英語感覚(自身の英語力の評価基準)ひいてはグローバル感覚の徹底的な甘さである。12年このビジネスをやっていて、いつも感ずる事なので、この際、声を大にして言っておかなければならない。「日本人程、英語が下手でグローバル感覚の薄い国民は実は世界にも類を見ない・・・」という事を・・・。英語で苦労をした経験もないのに、TOEIC800点~900点程度の英語力で、なんとかビジネスに通用してしまうと思う幼稚さである。中には、大学受験当時の英語の資産を単に切り崩して今日に至った、ビジネスでたまたま英語を使う機会がなかったので、集中してやるきっかけが無かった・・・、と堂々としている(笑)輩が多いのには萎えてしまう。それでは、一生のうちでいつ集中してやるのだろうか?「ビジネス英語はいきなり必要になって、その時にはあるレベル以上でないと使い物にならない、」という性質を持っている。従って、日頃からその日の為に研鑽しておく必要があるのは賢明な諸兄であれば少し考えてみれば判る筈である。要は怠け者なのである。
小職も英語が下手である。いまだに日常会話ほど難しく、多岐にわたり、教養やユーモアのセンスを問われるものは無い、と思っている。ジョークにシェイクスピアを読んでいないと全く分からないものがある。いつも外人と会食する時などは、戦々恐々なのだ。ひと亘り天候、趣味、スポーツ、芸能などの話題を通過すると、最近必ず登場する話題は、「震災後、日本は大丈夫か? 世界のグローバルな変化の中で、今後日本はどういう存在感を示してゆくのだろうか?」系の話題だろう。一般的な見識、個人の見解及びその根拠を問うているのである。
海外の人々が一般的に日本人をどうみているか?という事に日本人は異常に関心がある様だが、実は大多数の外人はほとんど関心が無いというのが本音のところではないだろうか?何故なら、パワーストラクチャーを考えると、米国の庇護でぬくぬくと高度成長をエンジョイし、経済大国にはなったが、少子高齢化で今後30年程は没落の一途を辿り、金は出し外野から無難な意見を述べる事もあるが、本当の危機に身を挺して海外の人々の為に立ちあがる気力も体力も心情も宗教も持ち合わせていない国民と見られているからである。(少し言い過ぎだろうか?)世界では、いまだにパワー、ロジック、信条、リーダーシップが主流なのだ。この前提が少しでも正しい部分があるとすると、その中で日本人は自分をどう主張するのか?またその論拠を何に求めるのか?という事を心して発言する必要がある。もともと関心が無く、どうせろくな意見も精神的支柱もない者の意見と見られているので、客観的なロジック、論拠それを裏付けるエピソードと、多少のユーモアとあるレベルの上質な英語力でしゃべることが出来れば、「な、なんと、こういう日本人もいるではないか!」と驚かれること請け合いである。(笑)
よく日本企業で海外赴任を何年もしてきました、という人々とも面談するが、二通りの人種がいる事に気付く。一つは、海外赴任といっても、日本人駐在員が大勢いる中で、現地の日本企業をサポートして帰ってくる人々、もう一つは、海外でのビジネス開拓を託され、衣食住環境の整備から自ら奔走し、地域社会の差別から家族を守り、現地での競合他社との競合の中で、現地企業クライアントの開発に泥にまみれ、成功体験あるいは失敗体験を積み上げてきた人々。この両者の英語力のレベルの差は歴然であって当然である。何しろ、徹底的に恥をかくことの連続だからである。日本人としてのアイデンティティを示さなければならない修羅場を多くくぐっているからである。
全く自慢話でも何でもなく、小職も海外赴任の幾ばくかの経験がある。160年の歴史のある米国企業の日本支社から米国に赴任するという当時としては異色の経験で、ずいぶん恥をかいたし、苦労とは感じなかったが、米国人の懐に飛び込んでいって痛い目にもあった。ただ幸運だったのは、はやり日本グローバル企業の先駆者の評判(ソニー、HONDAなど)があったので、他のアジア人の中では日本人は別格に扱われた。そもそも扱われるという事自体、最近の日本人感情や日本の新聞の論調からゆくと、「差別ではないか?それは悪である。そんな事が世の中に存在してはならない・・・」という事になるのだが、それは「現実を直視しない、世界を知らない」という事と同義の幼稚性だ。もともと「差別の歴史」なのである。英国の産業革命で当時機械産業の発達で職を追われた人々が、新天地を求め米国に移民として上陸し、フロンティアの名のもと、インディアンを排除し、労働力としてアフリカから奴隷を集め、新急派と保守派の南北戦争を経て独立した国である。欧米人間での差別、黒人への差別に彩られている。その国が経済発展しグローバル展開し、欧州の国々との交渉、ソ連との覇権争い、イラクの利権争い、中国への牽制を経て、世界のポリスとしての位置固めをして来た国である。それが現実である。
小学校5年生でアメリカ赴任に同行し、思春期に至る3年程を海外で初めて過ごした私の娘は、大学卒業から就職するまでの春休みに、当時のアメリカの赴任地(Second homeと呼ぶ)に2週間程旅行に行きたいと言いだした。後で聞いた話だが、彼女にとってはアメリカ生活及びそれに伴う心の傷がトラウマになってしまうことが無い様に、当時の先生、友人達、当時の会社の同僚の家族に会いに行ったのだった。親も知らなかった「差別」とはそれほどのものだったか・・・と深く考えさせられた。
それと外資系企業で英語を馴らした方々には、くれぐれも「英語ゴロ」にならない様、(注:英語が出来ても仕事が出来ない人々のこと)、また、異文化、異人種中、熾烈な利害が相反する中で、如何にフェアに議論し、「合意を形成できるか?」を徹底的に訓練出来ているかを問いたい。口で言うのは容易いが、これが出来る日本人の優秀なビジネスマンの数が圧倒的に少ないのである。また出来れば、「本を読み、深く考えることのできる、」日本人としての教養人であって欲しい。
さて、今回は少し力んでしまった・・・。
英語のみならず、世界を見廻して現実を客観的に直視でき、過不足なく自分の意見を伝え、相手に「なるほど・・・お前と是非一緒に仕事がしたい・・・」と言わせる事のできる日本のグローバル人材よ!貴方は一体どこにいるのですか?(笑)
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