私は「待つ」のが苦手である。生来の気の短さに加えて加齢による頑固さと独善性も加勢するのか、最近とみに待つのが億劫になって来ている。ところが長年続けて来た現在の私のビジネスの本質は「待つ」ことなのだ。クライアントや候補者をせっついても一文の得にもならないばかりか、思わぬ障害にも出くわすことにもなる。やれるだけやって、相手方の気持ちの醸成を待てないと、仕事も恋愛も家族関係も上手くゆかないものだ。それが長年の成功と挫折の中で嫌というほど理解しているのだが、それでも「待てない」のが加齢ということなのかも知れない。
「待つ」といっても正確には「時を待つ」ということで、漫然と待っていて努力や準備を怠っていたのでは話にならない。問題はいつが適切な時期かという「時を読む力」が必要だ。待てないという事は「時を読む力」が劣化しているという事で、これは「情報収集力」と「判断力」の二つ力と深く関連している。情報収集力はコロナ禍を経て多くの人の能力が一時的に減退したが、コロナ禍を過ぎた後もその後遺症が残っている。第一次情報の収集機会が激減したこと、即ち自分で直接見聞きし情報を収集する機会が減ったということで、この重要性を疎かにして情報判断を誤るケースはかなり多いと考えている。情報判断力はというと、過去のデータや第一次情報を収集し、整理整頓し、そこから判断できる、予知できる能力ということになる。残念ながら、加齢によるせっかちな点は、億劫だったり、面倒くささだったり、判断力が鈍ったりで、前述の二つの能力の減退の証左である。素直に反省しこころして「時を待つ」能力をもう一度耕さねばならない。
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